320333 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

バックパッカーの旅Ⅰ(東京~アテネ)

タイ事情

             ≪八月二十日≫    -爾-



  俺がタイと言う国について知っている事と言えば、日本のTVで

もやっていた、タイ式キック・ボクシングだけだった。


 何処に位置して、どんな国なのかまるで分からない。


 我が連盟のガイド・ブックにはこう書かれてある。



      ”タイは建国以来、他民族に支配されなかった国とし

て、アジアでも珍しく、そんな事もあって、タイ人は非常に誇り高い民族で

す。日本人が東南アジアを旅行すると、誰でも何とも言えない優越感を持つ

のは事実ですが、これはいけないことなのです。


  この優越感が態度となって現れ、現地の人たちの感情を害する結果

となるのです。一般にいって、タイ人が尊敬しそして、ある種の親近感を抱

いているのは、むしろ欧米人であって、日本人はタイ人からそれほど尊敬さ

れていないのです。それより、最近の団体旅行の日本人観光客などは軽蔑の

眼差しで見られているのが現状です。



  最近、カンボジア・南ベトナムと相次いで共産主義国にひっく

り返って、タイは三方共産国に囲まれた格好となり、内政も国民感情もかな

り複雑になってきました。泰国内の共産ゲリラは、一万人以上いると言わ

れ、隣国やソ連・中国の援助を受け、最近その動きが活発になってきまし

た。


  また、タイの学生たちは非常に強い力を持っています。1971年

11月に起こった、タイ全国学生センター(NSCT)の日本商品不買運動で、

日本企業を震え上がらせることによりその力を見せ、その後数十人の死者を

出しての実力行使で、腐敗した内閣を総辞職させると言う革命に近い事もや

り遂げています。



  そんな国内の共産主義になびく風潮に反発して、「ナワポ

ン」・「赤い野牛」といった右翼団体も出来ました。特に「赤い野牛」など

は、完全武装して国境の山村でゲリラを相手に自警団の役割を果たしていま

す。


そして、1975年夏に泰国民は、自衛の為ピストルを持つことが許さ

れ、このところ国内情勢は非常に不安定な状態が続いています。


なお宗教は、国民の九割以上が仏教徒(小乗仏教)であり、言葉はタイ

語を使用している。”



                     *



  移動の為疲れたのか、食事を取ると皆自分の部屋へ戻っていっ

た。


 部屋のシャワーで一日の汗を流し、タイでのはじめての長い夜を

迎えた。


 天井には、台湾で見た大きな扇風機がゆっくりと回っている。


 ベッドには、白いシーツと毛布が一枚、今晩は久しぶりにシュラフ

(寝袋)を使わずに眠れそうだ。


© Rakuten Group, Inc.